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"horibeyasubeinohi"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きもの福田屋のまわりにある江戸の名残を・・・

福田屋のそばには日本橋川から分岐して墨田川に合流す る
亀島川が流れています。最寄りの高橋より1つ上流の 亀島
橋の西詰めに「堀部安兵衛武庸(たけつね)之牌」 があり
ます。

碑文には

越後新発田五萬石溝口藩中山弥次右衛門の子 寛文十一
年生まれ 元禄元年江戸之念流堀内道場へ入門 元禄四
年玉木一刀齋道場師範 元禄七年二月髙田の馬場に於て

叔父菅野六郎左右衛門之仇討 其の後も京橋水谷町儒者
細井次郎大夫家に居住 浅野家臣堀部家の妙と結婚堀部
安兵衛武庸となる 禄高二百石元禄十四年十月本所林町
に於いて長江長左衛門の名で剣道指南 元禄十五年十二

月十四日 赤穂浪士の一人として吉良邸に乱入仇討ちす
元禄十六年 二月四日歿三十四歳 法名 刀雲輝剣信士
(読み易いようにスペースを入れました)

儒家細井次郎大夫家に居住とあるのでこの牌が細井家跡、
つまり堀部安兵衛の住居跡と思ったのですがここが京橋
水谷町になるのでしょうか?ちょっと違う気がしてきま
した。きもの赤坂福田屋の案内図に住居跡 と記して印刷
にまわした後に気づいたのですが・・・

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